日記:20220808 十二支の腸、十二支腸

 2か月ぶりの日記にしょうもね~タイトルをつける24歳。

 そうです、先日24歳になりました。

 この1年で変わったことといえば、就職したこと、推しが活動を終えたことくらいでしょうか。家族からの連絡は、相変わらず溜め込んでしまう人間です。

 ていうかこれで人生の1/3病んでいることになるな。勘弁してくれ~トホホ。

 

 めっきり小説を読まなくなった。漫画も読まなくなった。これは昨年からの変化ではなく、かなり長いスパンの、それこそ5年とかの単位での話である。

 幼少期の私がそれらの創作物にかじりついていたのは、私にとっての娯楽がそれしかなかったからというのは理由の一つだな、と今は思う。もちろん、父も母も元々本や漫画に親しみのある人だったとか、自分がかなり根から内向的な性格だとか、そういうのも理由ではある。けれど、家族が多かったから見たいテレビ番組を見られないことが多かったし、ゲームは買ってもらえないし買えるお金もないし、外遊びは良い顔されないこと多いし。本を読んでいれば大人しくていい子だねと褒められるのも嬉しかった。未就学のころは、家に沢山あった絵本を何度も何度も読んでいた記憶がある。そう、家には絵本がたくさんあった。姉が幼いころに近所の人から譲ってもらったものらしく、知らない人の名前が書いてある絵本があった。姉がキリスト系の私立幼稚園に通っていたから、聖書ベースの絵本も沢山あった(園で配られるらしい)。姉の国語の教科書や道徳の教科書も、よく勝手に読んでいた。ゲームは買ってもらってなかったのに、初代ポケモンのデータ図鑑みたいなのは何故かあって、私はその本がお気に入りだった。千切れそうなくらい読んだ記憶がある。いつか千切ってしまったような気もする。

 小学校に入って以降は、漫画版の伝記、SF、ミステリー、ホラーをよく読んでいたように記憶している。マンガで学ぶ故事成語、みたいなやつも結構好きだった。ファンタジーはあまり読まなかったけれど、ダレン・シャンみたいな、現代と地続きのファンタジーは好きだったな。ディズニーの妖精の小説も好きだったな。カタカナが多すぎるファンタジーが苦手だっただけかも。ノンフィクションのものとかもあんまり、好きじゃなかった。こちらの予想を裏切る、ドキドキする展開のものが好きだった。頭の中だけジェットコースターに乗るような感覚を欲していた。

 姉の影響で、少年漫画をよく読んでいた。NARUTO銀魂やリボーンなど、姉の読んでいた漫画をなぞるように読んでいた。小学校高学年になってから自分で漫画を買うようになって、その頃に揃えた漫画は、詭弁学派。四ツ谷先輩の怪談とか、保健室の死神とか。少年漫画といってもジャンプばかりで、打ち切られてしまった漫画が多かった。

 いつ頃、小説や漫画から離れたのか。

 小説から離れた時期のことははっきり覚えている。中3の時だ。受験生だから、毎日図書館に行くのはやめようと思ったのだ。週1とかにしよう、と思ったのだけれど、結局週2か3で行っていたような気がする。高校に入って、図書室は県内トップレベルで充実していたはずなのだけれど、本を読む時間なんてないと感じて、小説を読むのは控えようと思った。そんな日々を送っているうちに、いつの間にか小説に食指が動かない人間になっていた。

 漫画から離れた時期のことはよく覚えていない。いつの間にか読まなくなっていた。小説よりも漫画を読んでいた時期の方が長かったはずなのだが、ほんとうにいつの間にか読まなくなっていた。

 それは娯楽の選択肢が増えたから、というのはあるけれど、それよりももっと大きな理由がある。小説や漫画を読むとき、それらに手を伸ばすとき、苦しいと感じるようになった。人と関わって物語をすすめる人々と、誰ともうまく関われず(関わろうとせず)ひとりで苦しんでいる(ひとりで苦しむことを選んでいる)自分を、比べずにはいられないようになった。

 小説や漫画を好んでいたのは、娯楽の選択肢の少なさゆえでもあったのだけれど、それでも私にとって間違いなく娯楽ではあった。けれども私の娯楽は、私の精神性の変化と共に、音楽とTwitter中心に切り替わっていた。

 音楽は、孤独の苦しみをうたう人がいるのと、原始的な部分で気持ちよくなれるのがいい。音楽なら全部好きというわけでなくて、特定のアーティストばかり聴いている。かつて隙あらば本を読んでいた私だけれど、今は隙あらば音楽を聴いている。苦しんでいる人の歌が好きだ。私はそこに居場所を見出す。その歌を書いた人、歌っている人の意思とは別に、勝手に。

 Twitterは刺激的だ。Twitterで得られる刺激は、私がかつてSFやミステリから得た刺激とは明確に違うのだけれど、私はずっと「ここではないどこか」を希求しているのであって、Twitterはそれをくれるのである。かつて求めた刺激は意外性、私の期待を裏切るもの。Twitterではただ親指を動かすだけで、「ここではないどこかにいる誰か」の、私にはない観点をもたらしてくれる。それが気持ちいい。

 ニコニコ動画Youtubeも私にとっての娯楽だけど、小説や漫画の代わりのポジションにはいない。強いて言うならばYoutube、オモコロチャンネルや匿名ラジオは漫画の代わりのポジションにいるかもしれない。今の私にとってのギャグ漫画。

 何の話がしたいかというと、私はすっかり本を読まなくなったし、読むとしても倫理や社会の話をしている本ばかりになりましたという話です。

 本屋に行っても、本を見て面白そうと思うことがめっきり減った。

 そのことが、かなり悲しい。

 知的欲求みたいなのも減っている自覚がはっきりある。加齢のせいと言ってしまうにはまだ若いと思うんですけど。それとも24歳ってこんなものですか?

 SNS中毒とかうつ病とかそういう話がしたいんじゃない。じゃあ何の話がしたいの?て言われると……やっぱり……私は16歳の秋から私を疎外している(と私が感じるような在り方をしている)社会を憎んでいるし……私に「私が疎外されている」と感じさせた罪を贖ってほしいし……この8年間が……なにも為せなかった8年間が……惜しい……みたいな……そういう……感じの……。もう……終わりです……。

 24歳って母が結婚した年齢だった気がする。25歳だっけ。どうあれ、母は26歳で姉(第一子)を産んでいて~~~。あ~~~~~~~~~~。

 私は体力的な問題で出産するなら20代のうちがいいんですけど、金もらえるなら代理母やりますよ笑みたいな気持ちがあるんですけど、そうなると悪用する輩が批判する人がその人たちが社会社会~~~~~~社会規範~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

 成熟したい。はやく自分のことなんかどうでもよくなりたい。

 一旦↓の感じで生きようと思います。よろしくお願いします。

 

 24歳の目標:意識して身体を動かす時間を作る