日記:20240327 光陰ビュンビュン

日記:20240327 光陰ビュンビュン

 

 ぼーっとしてる間に、暖房をつけなくても身体が強ばらない夜が増えている。桜が咲き始めている。おののく。びっくりです。

 

 今日は朝7時に目が覚めて段ボールをまとめたり洗濯をしたりしっかりヘアメイクをしたりぼんやり午前を過ごして、昼からちょっとカラオケに行って歌って、ずっと気になっていたカフェでキャラメルラテを飲みながら勉強をして、映画を観て、帰宅。なんと健康的な一日か。

 

 定期的に、どうしようもなく漠然とした虚しさに襲われて泣きたくなる。自分以外の人間全員が不安に捕らわれずにまっとうに生きているように見える。自分だって常に落ち込んでいるわけではないので、それこそ今日カフェでラテを啜りながらiPadを操作していた私は、傍からは大した悩みもない幸せな人間に見えるだろう、そして私が勝手に他者をまっとうだと見做しているだけなのだということは分かっている。分かっているつもりで、なおコントロールできない。

 ずっと焦りが頭にあって、それが大きくなったり小さくなったりしている。人と居る時はその焦りに蓋をして何でもないような顔で取り繕って、でもお喋りをしている間に焦りが吹き溢れてネガティヴな発言をしてしまって激烈に後悔したりする。

 

 数日前、姉が会いに来てくれた。姉とお出かけをしたりお喋りをしたり、楽しい時間だった。姉は私がメンタルを持ち崩す時期より前に家を出たので、姉と話しているときは自分が昔に戻れる気がする。ほかの家族には、直接散々な迷惑をかけてしまったので、接する時に後ろめたさを拭いきれない。姉にも、私がいなければ姉は専門学校まで行けたかもしれないとか、姉は高卒で自活しているのに私はちんたら大学まで行かせてもらって、とかの後ろめたさはあるのだけれど、それはメンタルを持ち崩す前から持っているものなので、ほかの家族に抱く後ろめたさとは別のジャンルになる。ともあれ、姉と過ごしている時間はわりあい自然な自分(だと自分では思う自分)でいられるのである。

 ふいに蛍光灯に照らされた姉の顔が、写真で見た若い頃の母に似ていて、もっと言えば私の古い記憶にあるいつかの母にも似ていた。姉と、あの声優さんがアツいだのどうのこうのと小中学生の頃と変わらないようなオタクの会話をしていたのに、時の流れを突き刺されたような気分になった。最近こういうことが多い。四半世紀も生きるとこうなってくるんですね。いつまでも卓袱台のうえに折込チラシの裏紙を広げて、NARUTOのオリジナル忍者のことを考えていたかった。笑っていたい。笑っていたかった。肉体ばかり老いていく。焦燥感に呑まれて震えて布団に包まる、怠惰を、続けていく。

 

 先日ちょっと高めの美容室でパーマをかけてもらって、良い感じになった。去年買い逃したカーディガンをメルカリで確保した。今日の私はしっかりメイクもしたのでかなり可愛かった。可愛い。わたし。充実した休みを過ごすわたし。睡眠が足りていないと自己嫌悪の波が、焦りの渦が、わたしの頭を揺らがして、楽しんでいた自分ごと殺してしまいたくなる。だからシャワーを浴びたら早く寝ましょう。自分の機嫌を取ることばかり上手くなって、わたしはどうなりたいんだろう。どうでしょうね。そういう思考に蓋をして生き延びてきましたし、これからも多分そうです。