日記未満:20230728

 推しと呼べるひとが消えてからまる1年が経った。そうかぁ、もう1年かぁ、という淡白な感想を抱いている。1年と少し前、薄々予感していたことをはっきり告げられて、べしょべしょに泣きながら駆け込むように友人に通話をかけた。1年前、べしょべしょ泣きながら仕事して、仕事が終わったらまたべしょべしょに泣いていた。3週間かけて数千字のファンレターを書いて、出して、そのとき郵便局でもらったレシートをずっと財布に入れている。

 彼がいなくなってから、彼が所属していた事務所のいわゆる箱イベント的なものはほとんど見ていない。元々熱心に追っていた方ではないけれど、彼の空白をより感じるのが苦しくて、半年くらいは箱の放送や番組からは完全に遠ざかっていた。冬頃になって、ようやく、プールに入る前に足に水をかけるように、公式番組を見られるようになった。それでも定期的に彼が居ないことが苦しくなる。加えて、箱自体の雰囲気が、私が好きになった当初のごちゃ混ぜの何でもあり!という雰囲気から変わったように思って、その意味でもすこし近づきにくくなっている。雰囲気が完全に変わったわけではないにしろ、私の好みではない雰囲気が台頭しているのを感じる。私はメインの顧客ターゲットから外れたということなのだろう。とはいえ箱から完全に離れたわけでもなく、私の好きな数名の動画や放送は視聴している。そう、好きな数名の動画や放送が見られるくらいには、回復した。

 彼のいなくなった穴を、別の推しを見つけて埋めるということはできなかった。彼が消えてからすぐに私は資格の勉強に打ち込んで、資格を取ったあとは語学の勉強に打ち込んだ。そうすることで、彼のことを考える時間を減らした。

 一年経って、彼が居ないことを想ってメソメソする日は減ったけれど、全く無くなることはない。彼に、バーチャルの存在として、居てほしかった。どこまでもエゴで、間違いなく在る私の願望である。私より一つ年上の彼が、一つ年上のまま、変なこと面白いこと適当なことを話しているのを、真摯な話をしてくれるのを、聞いていたかった。すべては叶わぬ夢で、もうどうしようもない。彼に「またね」ではなく「じゃあね」と言われてしまった以上、もはや彼を追うことはできない。そのことを痛感する一年だった。

 まぁ、最近の私は別ジャンルでキャッキャしているので、1年前に比べれば傷は癒えているのだろう。でも、彼の過去の配信はまだ全然見られない。『だって写真になっちゃえばあたしが古くなるじゃない』とは椎名林檎女史のお言葉であるが、似たような、でも全然違うようなことを感じている。アーカイブの彼は過去の彼でしかない。現在の彼は?観測しえない。私はもはや過去の彼を見ることしかできないのだと、痛感するのが、苦しい。未だに。ただ今のわたしは、いつかまた、彼の声を聞くことを楽しいと思える日が来ることを信じて、目を逸らしておくことしかできない。ほんとうにいつかそんな日は来るのだろうか。どうだろう。1年前はこの傷が多少癒えることすら想像もできなかったけれど、多少は癒えてくれたので、きっといつか、いつかは。そう思っている。思うしか、ない。

 観測しえない世界で、彼が穏やかに生きていることを心から祈っている。

 すべてはオタクの欺瞞です。