日記:20231019-20231020 何をしてもひとり

 夜が明けそうになっている。眠らなければ夜が明けないのではないかと一縷のばかけた望みをもって布団のなかで目を開けて、新聞配達のバイクの音にハッとして、いつの間にかうとうとしていた自分の浅さ、結局朝が来てしまったことへの絶望、どうにもならなさ、何もできない焦燥、息苦しさ、を思い出す。思い出さなくていいことを思い出すのは、私が成長していないから。秋の朝の湿り気が残る冷たい空気は精神衛生にわるい。そう、朝になろうとしている。

 

 日付としては昨日、ミニスカートを履いて街に出た。我が人生史上最短と言っても差し支えない丈のミニスカートである。労働のストレスで痩せた(家に体重計がないので具体的な数値はわからないが下着が全体的に合わなくなる程度には変化が生じた)ため、ついでに脚を出すファッションにチャレンジしてみるかと思ったのである。まぁ脚を出すファッションに体重は本来関係ないのですが。私もまたルッキズムの奴隷なのです。さて感想は、悪くないかな、です。それだけ。あんまり気分が上がらなかった。食事をしてもそのもやもやした感じは変わらなくって、結局すぐ家に帰ってミニスカートは脱いでしまった。そしてポテトチップスを食べて血糖値を爆上げして、気絶へ……。もうちょっと精神衛生の良いときに再チャレンジしたい。

 

 思い出さなくていいこと。9年近く前。このまま家を飛び出してどうにかならないかと、布団のなかで、家出少女を迎え入れたい人達が書き込む掲示板を覗いていたことがある。私の住んでいる地域の掲示板の書き込みは数週間も前の書き込みを最後に止まっていて、終わりだと思った。掲示板で援助交際やそういう店の情報を探したこともある。結局、こわくて、わたしは何もできなかった。わたしはあたたかい布団に潜っていられる恵まれた環境にいた。そのことを当時は分かっているようで分かっていなかったし、きっと今もよく分かっていない。だからまた布団のなかでうだうだとむやみに電力を消費している。自己嫌悪、している暇があれば自己研鑽を積め。分かってる。ようで分かってない。今も。強く生きられない。そのことでへなへな萎れるのではなく、どうあれ生きる、どうせ生きるならより善く生きる、そのためにすることを決めてしまうことが肝要なのに、それをしないのは、弱さのぬるま湯に浸っていたいからだ。ずっと。何度も何度も何度も自己嫌悪に苛まれているのだからいい加減、自己嫌悪しないでいられる自分になればいいのに、おてがる自己嫌悪で自分の罪を贖った気になるのが得意。死んだほうがマシ、と思うのも逃げ。