きみは『世界征服』を知っているか

 知ってる? ならいいです。

 良いアルバムですよね。

 

 Neru氏のアルバム、『世界征服』が発売されてから今日で10年が経ちました。

 おめでとうございます。

【3/6発売】世界征服 / Neru feat.鏡音リン、鏡音レン - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 このクロスフェード、めちゃくちゃかっけ〜んですよね。

 リンレンが呟く「世界征服」。かっけ〜〜〜〜〜。当時めちゃくちゃときめいたのを覚えています。

 

 せっかくだし、ちょっとしたエッセイ的な回顧録的なものを書いておこうと思いました。

 以下エッセイ的な回顧録的ななにかです。

 

 10年前の3月。

 当時の私はNeru氏のファンではあったけれど、特別熱心なファンではなく、『世界征服』を購入したのも『ハウトゥー世界征服』の動画が投稿された後だった。

 初めて『ハウトゥー世界征服』を聴いたときのことは、はっきり記憶している。私は中学二年生だった。家族にバレないように足音を殺して忍び込んだ姉の部屋で、姉の部屋にある家族共用のノートパソコンにウォークマン付属のイヤフォンを挿して、部屋の電気を点けないままで、姉がバイトから帰ってくる前に引き上げなきゃとドキドキしながら、膝立ちで、薄暗闇に浮かび上がるパソコンのディスプレイのなか、ニコレポに表示されている動画をクリックした。当時まだTwitterのアカウントこそ持っていなかったけれど、複数の活動者のTwitterアカウントページをブックマークに登録・チェックはしていて、その中にNeru氏やしづ氏のアカウントを含んでいて、動画が投稿されることは知っていた。だから夕飯前に、ドキドキしながら姉の部屋に忍び込んだ。

 発表している楽曲にゴリゴリのバンドサウンドが多かったNeru氏にしては珍しい雰囲気の曲に少し驚きながら、しづ氏の手がけるキメが格好いい動画に見惚れながら、動画を視聴した。

 

「どうせ幾年経って車が空飛べど きっと何年経って機械が喋れども 何だって言いたいんだ 便利って言う前に 心の傷口を治してくれ」

「死にたいとか そんな歌を歌って またそれかと杭を打たれた だけれども それ程の事しか 口から溢れる言葉がどうしても見つからないや」

 

極めつけは、「優しい人にならなくちゃ 僕は僕を肯定していたい」。

 私は、私のことを分かってくれる曲を書く人に出会えたのだと、本気で思った。

 次の週末に、近所のTSUTAYAに行った。『世界征服』がCD売場の棚の下の方に、しっかりと陳列されていた。お年玉で買った。

 どきどきしながら家に帰って、開封する。特典のストラップは東で、マウスパッドは少年少女カメレオンシンプトムの柄だった。アルバムを聴いたのはその日の夕飯の後だった。ラジカセの蓋を開けてディスクをセットし、できるだけ小さい音量で流した。ボーカロイドの曲だとバレないように、家族が近づいてきたら音を止められるように。聴きながら歌詞カードを見つめた。東京テディベアから始まり、グッバイ、ロックンロールに差し掛かるころ、私は泣いていた。私のことを分かってくれる歌がここにある。苦しみや寂しさに寄り添ってくれる歌がここにあるんだ、と強く思った。

 動画版よりも迫力を増した歌声になった東京テディベアは、ラストの音も少し変わってより切実にきこえる。印象的なギターリフはじめ勢いの強いサウンドに、誰もいない教室で叫ぶような詞が畳みかけられるロストワンの号哭。苦しくなるほど赤裸々に、刺すように歌われるアブストラクト・ナンセンス。一曲のなかで何度も雰囲気を変えながら「全部僕が悪い」を突きつける延命治療。グッバイ、ロックンロールでリンレンが淡々と歌う厭世が心地よい。サウンドにも詞にも「悲しみ」が溢れ、とめどない自己嫌悪を感じるかなしみのなみにおぼれる。暴力性をまといながら「神様なんていやしないって何でわからないんだ」と苦しげに歌うオーヴァースレプト。ひとりの少女がかなしく語る様がありありと想像できる21世紀イグゼンプリファイ。強い言葉が多用される詞と鋭いサウンドとは裏腹のタイトルをかかげる優しい人になりたい(そして裏腹だからこそタイトルが印象的に光る)。間違いなく「格好いい」し、「盛り上がる」展開のサウンドに拭えない無力感が漂う再教育。どこか繊細さすら感じさせるAメロBメロCメロと爆発的なサビに、絞りだすように叫ぶ詞を乗せる少年少女カメレオンシンプトム。ガラクタから目を覚ます、そんなある種の王道をうたうガラクタ・パレード。まさしく一つの劇のように曲が展開される小生劇場。アルバムの締めくくりに「優しい人にならなくちゃ」を歌うハウトゥー世界征服。全部はここに書ききれない。まして私は音の感覚が鈍いから演奏について語ることがうまくできなくて詞についてばかり語ってしまう。どうしたって片手落ちになる。それでもほんの少しでも、私がすくわれたと感じたことを表現したいと文字を打ち込む。今までもそうだったし、今日のこれもその一部だ。

 容量8GBのウォークマンに『世界征服』を取り込んで、何度も何度も聴いた。

 ウォークマンでよく聴いていたのはグッバイ、ロックンロールと優しい人になりたいとオーヴァースレプトだった。他の曲は既に動画で投稿されていて、ニコニコ動画で何度も聴くから、ウォークマンで聴くときはアルバム限定曲を中心に聴いていた。聴いていると胸が苦しくなるけれど同時に安心できた。当時の私の、心の黒い部分を掬ってくれるように感じたのだ。

 

 あれから10年が経った。私は中学を卒業し、高校を留年し、高校を卒業し、実家を出て、大学を卒業し、今はどうにかこうにかサラリーを貰って生活している。

 私が『世界征服』を購入したTSUTAYAは数年前に閉店してしまって、空いた建物には学習塾が入っている。実家に帰省するたびに、周辺に新しい家や学習塾、ドラッグストアが増えていることに気付かされる。近所にあった田んぼや山は潰れ、住宅地になっていく。今度地区に新しく小学校が増えるらしい。(私の地元は、少子高齢化がすすむこの国には珍しく、子どもが多い地域だ。)

 思春期の孤独をすくわれた気持ちになれたあの日からもう10年経つのかという思いも、そりゃ10年経ってるわ、色んなものが変わっているし、という思いもある。

 10年後も『世界征服』を聴いて泣いているよと伝えたら、当時の私はどう思うだろう。

 変わらない(ように見える)自分に安堵するのか、変わらない(ように見える)自分に呆れるのか? もはや分からない。

 

 「征服だの何だの 抜かした奴はどいつだ そんな事言う 大馬鹿者はいないよな」

【鏡音リン】 テロル 【オリジナルPV付】 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 ハウトゥー世界征服が投稿されてから1年と数か月後に投稿されたこの曲でこう歌われているから、この時点で『世界征服』はNeru氏のなかで過去のものになっているのだろうと考えている。況や今をや。

 実際のところ、自分も今初めて『世界征服』を聴いたとして、14歳の頃と同じ感度で泣けるだろうかと聞かれれば、きっと泣けない。全く泣けないわけでもないとは思うが。多少なりとも、私も内面が変化してしまっている。

 私は、なりたくない大人になってしまった側の人間だ。なりたくない大人になった気分は最悪だ。日々薄い布団の中でTwitterを開いて、行き場をなくした怨嗟を込めてツイートする。苦しくて、助けてほしくて、サブスクの音楽アプリから音楽を流して、どうにか救われようとする。ろくなもんじゃない。10年前の私が見たら軽蔑するような生活を送っている。

 『世界征服』収録曲全体に漂う雰囲気を表現するならば、自己嫌悪、希死念慮、懊悩の末の爆発、自己肯定の渇望、といったものだろうか。すべて少年~青年に特有な肥大した自意識によるもの、と言ってしまうこともできる。「もはや、自分の声しか聞こえていな」くて、そんな奴だから「征服」だとのたまうことができて、そしてそいつは「大馬鹿」なのだと。私はそう解釈している。でも、だから何なんだ、と思う。論理の部分で理解できたって感情の部分が成熟してくれるわけじゃない。それどころか、私は自身の少女的な感情に対して、身につけた社会性により蓋をしたり、処理の仕方が分からず抱えたままになったりして、それらの感情がふいにコントロール不能に暴れだすことがままある。要するに、中学生当時よりも自分の感情のコントロールが下手になっているのである。そんなときに『世界征服』に縋る。オーヴァースレプトを聴きながらグッバイと呟くことでようやく自覚できる苦しみがある。「いつか夢見たような大人になんてなれやしないんだよ」を聴いてやっと涙を流せる。アブストラクト・ナンセンスで歌われるあの情動をもはや自ずから抱くことができなくとも、楽曲を通してあの情動の感覚を思い出して、それでようやく吐き出せる。『世界征服』が、すくってくれる。寄り添ってくれる。ぐじゃぐじゃになった私の自意識と感情に。それらは少女時代から私が抱いているものも、今の私が抱いているものもごちゃまぜだ。

 そして、そのすくいは私にとって絶対だ。誰が何と言おうと。作者本人であっても。

 私も「大馬鹿」だと本心から言ってしまえるようになれば、救いを求めてこのアルバムを聴くことは無くなるのかもしれない。今のところそんな見通しは立っていないので、当分はまだ、このアルバムは私に寄り添ってくれるアルバムだと思います。

 

 ひどく抒情的で主観が強く入った文章になってしまった。私にとって心の大事な場所に置いている作品だから、語ろうとすると、どうしても私的な語りから抜けられない。億が一Neru氏の目に留まることがあれば、彼にとって本意でないであろうことを書いた自覚もある。それでもなにか書かずにはいられなかった。私にとって大切な作品のアニバーサリーだから。

 10周年おめでとうございます。

 ありがとうございます。これからもきっと大好きです。