日記:20231106 温度の無さを愛してる

 なんか全てが嫌になる気配がしたので寝て起きて、4時間くらい寝たかな?と思って時計見たら11時間ぐっすり寝てたことが判明。天気が悪かったので多分そのせい。

 メンタルの調子が良くないのはいつものこと。仕事は辞めたい。

 とか書いてたら市電の駅を一つ乗り過ごした。市電なので大した距離ではないのが救い。

 

 昨日までニコ動で無色透名祭参加曲をぼちぼちdigってました。ちょっと前から「花隈千冬ちゃんの声かわいすぎンゴ……😭」のオタクになっていたので、千冬ちゃん使用曲は全部巡回し、あとはランダムボタン押しまくる時間。

 この感覚、久しぶりだな〜と思った。ぼからんを熱心にチェックし、気になった曲を聴きに行っていた頃。ふと思い立ってVOCAROCKでタグ検索かけてコメントが新しい順に並べて再生していた頃。あるいはNsenに入り浸っていた頃。わたしがディープめにボカロを聴いていたのって本当に10年くらい前とかかもしれない。あの頃の、家族共用のノートPCの前でワクワクする感じを思い出した。すごく楽しかったです。

 さて千冬ちゃん使用曲を巡回した感想ですが……千冬ちゃん、本当に、声が、可愛い。好きだ。これまでも声が好きだなと感じた合成音声は複数あるけれど、こんなに強烈に声が好きだと感じる子は初めてだ。そして声が好きだからあらゆる曲が好きに聴こえてしまう……と思ったのだが、千冬ちゃん曲を再生したときに好みの曲に当たる確率がランダムボタンで再生するときよりも高かったように思える。

https://x.com/aaaaa87dayo/status/1720441968315297821?s=61&t=KTq9BtG9TcfhaExq1cpslg

パブサで全く同意見のポストをみつけたので引用させていただきます。多分こういうことです。これからも花隈千冬オリジナル曲タグを検索し、臆さずに曲をdigっていきたいものですね……。

 そして、この曲いいな!と思った曲の作者が有名Pだったりして普通にひっくり返ったりした。全然気付かなかった。私は無意識でS◯hbanaさんとぐ◯りさんの曲を見つけていました(自慢兼自虐)。ボカロP絶対音感、磨きてぇ……。もちろん知らないPさんの曲にも沢山であえてよかった。つくづく、わたしが知らないだけでこの世にはこんなにも良い音楽があるんだなぁと思う。このお祭り、お祭りの後は気になった曲の作曲者さんのマイリスト巡回というお楽しみも待っているので本当にすばらしい。

 運営の方はお祭りスタート時のドタバタもあり本当に大変だったかと思いますが、いち視聴者はめちゃめちゃエンジョイできたので、三回目をwktk(死語)して全裸待機(死語)しています。

 さて久しぶりにボカロ曲digでワクワクする感じを味わって、わたしはやっぱり合成音声が好きだと思った。わたしは音楽を聴くうえで歌詞を結構重要視しているタイプだ。その弊害で、歌詞の情景や込められた感情が生々しいと、人間が歌っているとそれだけでぞわぞわしてしまうことがある。生々しい、と言ってもわたしが好ましいと感じる生々しさもあるので、全部が苦手なわけではない(靖子ちゃんや神聖かまってちゃんの歌詞は、わたしが好ましいと感じる生々しさだ)。私が苦手な類の生々しさは、合成音声を通じて歌われるとかなり脱臭される。物語的になるといえばいいのだろうか。同時に、歌詞に対する嫌悪感が薄まったことで、落ち着いて音を聴くことができる。私は音楽に対する感覚が鈍いから、音について感じたことをうまく言葉にできないけれど、好みの音色というのは間違いなくある。ボーカルが合成音声のときは詞ばかりでなく総合的に音楽を聴くことができるようになる。合成音声は、私の世界を広げてくれる。

 私は、合成音声に歌を託す人間の姿、という構造自体も愛している。歌を作る人が、自分の歌を合成音声に託す理由は様々だ。合成音声が好きだからとか、合うと思ったからとか、人間には歌えないからとか、自分では歌えないからとか、自分で歌うより聴いてもらえるからとか、手軽だからとか。どうあれ、それを託された合成音声は歌う。合成音声の側には何の感慨もない、その機能は解体すれば0と1の羅列にほかならない。まぁそんなこと言ったら人間の感情だって最終的には電流なわけだが、その電流の有無が大事だと思う。合成音声ソフトウェアは歌を作る人間と歌を受け取る人間の間で船のような役割を担っている。その船が機械であるということに私は安心感を覚える。生身の人間と生身の人間であることに、一枚膜が隔たれて、私はすこし心をなだらかにできる。それはいつも穏やかに曲を鑑賞するということではなく、作品に没入するときのノイズが少ないということである。明らかに人間が歌うには難易度が高い歌だとどうやって歌ってんの!?と思っちゃうし、ちょっと熾烈な言葉を使った歌詞だとこれを歌う人はどういう気持ちで歌ったんだろうという方向に思考が傾いてしまう。歌い手の主観にまで思いを馳せるのはわたしの思考が行きすぎているだけかもしれないし、歌はそういうの込みの表現という部分があるのも理解している。ただ私は人間のことを愛したくて、好きでいたくて、うっすら嫌いで、こわいから、合成音声という機械の船に揺られるのが心地いい。そういう話です。

 

 これから仕事。仕事は辞めたい。仕事、したらお金が貰えるからね。お金が貰えたら生きていけるからね。しょうがないね。どうにか生きていきます。

日記?:20231024 堕落の部屋

◼️

全部が嫌!!!!!になって、ふて寝して、目が覚めたら7時前。出勤まで7時間もある。二度寝しようかと思うが、図書館で借りた本の返却日が今日だから返しに行かなくてはならない。起き上がる。朝はもう寒い。洗面台で拭き取りトナーパッドを開ける。寒い。寒いからこんなに調子がおかしいのか。部屋が相当荒れている。ゴミがそこら中に散らばっている。シンクの中の食器を水で満たして、いつから手をつけていない? 本とパソコンとiPadをリュックに詰めて、逃げるように部屋を出る。返却ポストに本を入れて、街まで歩く。朝の時間を歩いたのはちょっと久しぶりだった。交通量が多くて、スーツの人、学生、行き交う人の数が多いと、こわい。パン屋さんでパンを買う。数年前から値段が変わってなくて、一食分と飲み物を買っても500円でお釣りがくる。ちょっと怯む。街中の公園で、日陰になっているベンチを見つけてパンを食べる。人が少ない。やっとちょっと息ができる。大切な曲を聴く。慰められる気持ち。音楽に縋ってどうにか生きていける。仕事に行くコツは何も考えないこと。そうして堕落していく。

 

◼️

創作物のなかでしか見たことのないされ方で、愛されてみたい、慈しまれてみたいという願望がある。ロマンティックなもの全般を信用していないのにとんだダブルスタンダードである。信用していないからこそ、“真実の愛”みたいなものを渇望しているのかもしれない。とんだお笑い草である。恥、いっそ殺してくれと思うが、誰も私を殺してはくれない。ただそこらの汚い床でのたうち回ってるだけの、醜い、関わり合いになりたくない類の怪物がわたし。

 

◼️

家族から金を貸してほしいと連絡があると、私は本当は独り身を満喫している場合ではないのだと思う。実家がある地域の地方銀行のキャッシュカードをATMに吸い込ませて、家族の口座番号をタッチパネルで打ち込んで。振り込んだよ、と連絡して。いっそ別に返さなくていいからと送ってしまおうかと思って。けれどもそれが取り返しのつかない何かのきっかけになってしまう気もして、結局送らない。適当そうな応答だけを考えて、選んで、送信する。金は遊びに使っているわけではない、浪費されているわけではない、後日きちんと返される、分かってる、そしてだからこそ気持ちの持って行き場が、わからない。私は本当はこんなことをしている場合ではない。私は本当にこんなことをしている場合ではない。思い知らされても結局私は何もしない。逃げ癖、薄情、自己嫌悪、薄弱。

日記:20231019-20231020 何をしてもひとり

 夜が明けそうになっている。眠らなければ夜が明けないのではないかと一縷のばかけた望みをもって布団のなかで目を開けて、新聞配達のバイクの音にハッとして、いつの間にかうとうとしていた自分の浅さ、結局朝が来てしまったことへの絶望、どうにもならなさ、何もできない焦燥、息苦しさ、を思い出す。思い出さなくていいことを思い出すのは、私が成長していないから。秋の朝の湿り気が残る冷たい空気は精神衛生にわるい。そう、朝になろうとしている。

 

 日付としては昨日、ミニスカートを履いて街に出た。我が人生史上最短と言っても差し支えない丈のミニスカートである。労働のストレスで痩せた(家に体重計がないので具体的な数値はわからないが下着が全体的に合わなくなる程度には変化が生じた)ため、ついでに脚を出すファッションにチャレンジしてみるかと思ったのである。まぁ脚を出すファッションに体重は本来関係ないのですが。私もまたルッキズムの奴隷なのです。さて感想は、悪くないかな、です。それだけ。あんまり気分が上がらなかった。食事をしてもそのもやもやした感じは変わらなくって、結局すぐ家に帰ってミニスカートは脱いでしまった。そしてポテトチップスを食べて血糖値を爆上げして、気絶へ……。もうちょっと精神衛生の良いときに再チャレンジしたい。

 

 思い出さなくていいこと。9年近く前。このまま家を飛び出してどうにかならないかと、布団のなかで、家出少女を迎え入れたい人達が書き込む掲示板を覗いていたことがある。私の住んでいる地域の掲示板の書き込みは数週間も前の書き込みを最後に止まっていて、終わりだと思った。掲示板で援助交際やそういう店の情報を探したこともある。結局、こわくて、わたしは何もできなかった。わたしはあたたかい布団に潜っていられる恵まれた環境にいた。そのことを当時は分かっているようで分かっていなかったし、きっと今もよく分かっていない。だからまた布団のなかでうだうだとむやみに電力を消費している。自己嫌悪、している暇があれば自己研鑽を積め。分かってる。ようで分かってない。今も。強く生きられない。そのことでへなへな萎れるのではなく、どうあれ生きる、どうせ生きるならより善く生きる、そのためにすることを決めてしまうことが肝要なのに、それをしないのは、弱さのぬるま湯に浸っていたいからだ。ずっと。何度も何度も何度も自己嫌悪に苛まれているのだからいい加減、自己嫌悪しないでいられる自分になればいいのに、おてがる自己嫌悪で自分の罪を贖った気になるのが得意。死んだほうがマシ、と思うのも逃げ。

日記未満:20230731

 年取りました。新品の下着をつけて、SNSで誕生日です!と宣言して、貰えたお祝いのメッセージに返信して、仕事。仕事。半ギレの労働。

 きつい時はかなり限界まで行かない限り大丈夫なんだけど、優しくされた瞬間が一番泣きたくなる。

 明日にまわしてもいい仕事は明日にまわそうと思って、でも誰かが仕事を片付けてくれるわけじゃないし、明日からは月初業務があるし、やるしかねぇか……Just Do It……でやって、買ったけど食べられなかったコンビニご飯は職場の冷蔵庫に入れたまま明日食べることにして、シェアサイクルで帰ろうとしたら自宅最寄りのポートが埋まってて、歩いて帰る。そしたら真ん丸でこうこうと輝く月が空に浮かんで見えて、月綺麗〜〜〜って口に出して言いました。

 私は自分が怒っていることに怒る資格は無くて、嫌だと思ってることから逃げる資格は無くて、心底そう思っているから、自分が、嫌いです。自分が嫌いと他者に見える場所に書くことで、なにかを許されようとしている自分のことも嫌いです。嫌いの言及はいつまでも止まらないから一旦やめることにして。死にたくなる。今はこのうえないしあわせ。自分で稼いだ金で生活して、ずっとインターネット上で交流してきたひととリアルで会って、ずっと好きだった絵師さんと声優さんがメインで起用されたゲームが発売されて、ずっとずっと好きだけど昔に解散してしまったバンドの幻影を追うライブに行けることになって。このうえない幸せのはずなのに、そんな幸せではどうしようもない心の空虚さを扱いきれない。自分に、付き合いきれない。やってらんないよ。なんで頑張れないの。本気で死ぬことを考えてからじき9年が経つ。あっという間に10年になるんだろう。心の芯が、本気で死にたいと思ったあの日とあの日に留まっている。本当に死ななきゃ、あの日わたしが死にたいと思ったことはずっと嘘だから、死にたいだけなのかもしれない。自分を正当化して自己憐憫に浸りたいだけなのかもしれない。かもしれないじゃなくて、ずっとそうだ。

 嘘は貫き通せば本当になる、とまではいかなくとも、嘘ではない可能性を持って認識してもらえる。そういう生き方をするようになった。そうしないと生きてゆけない。もう。

 だめ、眠りたい、寝よう。歳取って早々にBAD入っちゃって、ウケるね。空元気が苦しい、おめでとうと言ってもらえることに笑顔でありがとうと返すのが、苦しい、苦しい、と呟いたときに抱きしめてくれるような人はいない、そのことが、嫌になっただけでした。空元気でもふかし続ければほんとうに元気になる、元気と思われる、わたしはそれを選んだはずなのに、どうしてうまくやれないんだろう。意志が弱いからです。

日記未満:20230728

 推しと呼べるひとが消えてからまる1年が経った。そうかぁ、もう1年かぁ、という淡白な感想を抱いている。1年と少し前、薄々予感していたことをはっきり告げられて、べしょべしょに泣きながら駆け込むように友人に通話をかけた。1年前、べしょべしょ泣きながら仕事して、仕事が終わったらまたべしょべしょに泣いていた。3週間かけて数千字のファンレターを書いて、出して、そのとき郵便局でもらったレシートをずっと財布に入れている。

 彼がいなくなってから、彼が所属していた事務所のいわゆる箱イベント的なものはほとんど見ていない。元々熱心に追っていた方ではないけれど、彼の空白をより感じるのが苦しくて、半年くらいは箱の放送や番組からは完全に遠ざかっていた。冬頃になって、ようやく、プールに入る前に足に水をかけるように、公式番組を見られるようになった。それでも定期的に彼が居ないことが苦しくなる。加えて、箱自体の雰囲気が、私が好きになった当初のごちゃ混ぜの何でもあり!という雰囲気から変わったように思って、その意味でもすこし近づきにくくなっている。雰囲気が完全に変わったわけではないにしろ、私の好みではない雰囲気が台頭しているのを感じる。私はメインの顧客ターゲットから外れたということなのだろう。とはいえ箱から完全に離れたわけでもなく、私の好きな数名の動画や放送は視聴している。そう、好きな数名の動画や放送が見られるくらいには、回復した。

 彼のいなくなった穴を、別の推しを見つけて埋めるということはできなかった。彼が消えてからすぐに私は資格の勉強に打ち込んで、資格を取ったあとは語学の勉強に打ち込んだ。そうすることで、彼のことを考える時間を減らした。

 一年経って、彼が居ないことを想ってメソメソする日は減ったけれど、全く無くなることはない。彼に、バーチャルの存在として、居てほしかった。どこまでもエゴで、間違いなく在る私の願望である。私より一つ年上の彼が、一つ年上のまま、変なこと面白いこと適当なことを話しているのを、真摯な話をしてくれるのを、聞いていたかった。すべては叶わぬ夢で、もうどうしようもない。彼に「またね」ではなく「じゃあね」と言われてしまった以上、もはや彼を追うことはできない。そのことを痛感する一年だった。

 まぁ、最近の私は別ジャンルでキャッキャしているので、1年前に比べれば傷は癒えているのだろう。でも、彼の過去の配信はまだ全然見られない。『だって写真になっちゃえばあたしが古くなるじゃない』とは椎名林檎女史のお言葉であるが、似たような、でも全然違うようなことを感じている。アーカイブの彼は過去の彼でしかない。現在の彼は?観測しえない。私はもはや過去の彼を見ることしかできないのだと、痛感するのが、苦しい。未だに。ただ今のわたしは、いつかまた、彼の声を聞くことを楽しいと思える日が来ることを信じて、目を逸らしておくことしかできない。ほんとうにいつかそんな日は来るのだろうか。どうだろう。1年前はこの傷が多少癒えることすら想像もできなかったけれど、多少は癒えてくれたので、きっといつか、いつかは。そう思っている。思うしか、ない。

 観測しえない世界で、彼が穏やかに生きていることを心から祈っている。

 すべてはオタクの欺瞞です。

日記:20230422 ハイ!

◼️

 ツイートの量がかなり減っているが、Twitterを辞めて移住したわけでもなく、ROM専が加速しているだけ。死んだ魚の目をしてTLを更新しまくっている。リストに登録している面白いツイートをする人のホームに飛んでいいね欄まで眺める。何だ、この生活。

 

◼️

 昔よく聴いていた曲ばかり聴き返して過ごしている。これが緩やかな死でなくて何だと言うんだ。このまま2010年代のボーカロイド曲ばかり聴いて年老いるのか?そんなのは嫌だ♪と歌いたいところだが、実際そんなに嫌だとは思っていやしないので、このまま老害になっていきます。VOCAROCK最高!VOCAROCK最高!

 

◼️

 夜勤明けハイが発動し、シャワーを浴び、ジムに行き、カフェで読書をし、帰宅し、そして糸が切れたように眠った。夜勤明けに仮眠を取らず活動すると心臓に負荷がかかっている感じがするので良くないとは思うんですが、なんか、なんか生活が嫌になってしまい。つい。

 

◼️

 ここに来てカリスマにハマった。

七人のカリスマ「めちゃめちゃカリスマ」MV - YouTube

 比較的健全な感じのハマり方をしている。一昔前の私なら大瀬きゅんクンカクンカ以下ルイズコピペ略していたと思うのだが、わりあい普通にラジオドラマを聞いて音楽を聴いて順当にうおーっと盛り上がったりゲラゲラ笑ったりハラハラしたりしている。や、冷静に考えると、メンタルやられてる時にたまたまバーで会った初対面の天彦さんにセクシーですねって言われたら多分嬉しくて泣いちゃうな、みたいな夢女思考がすくすく育っているので、そのうち健全じゃない方向に舵を切るかもしれません。あるいは既に。文アルで受けたツリ眉タレ目の呪い(呪いの効果:ツリ眉タレ目の男を好きになる)が、未だに尾を引いている……。

 私はニコニコ動画によくある他ジャンル巻き込み無法地帯のアイドルマスターのMADが好きなので、全体曲のMVが大体ツボである。これが商業ベースってすごいことだよ、本当によ。いいのか?

 ソロ曲は大瀬くんの雪解が好きです。

湊 大瀬「雪解」MV - YouTube

この曲も、こういうコンテンツの楽曲として出される曲にしては別のベクトルで攻めている曲だ。うまく眠れない日に流すプレイリストに入れました。声優さんの声もかわいらしく、繊細で、落ち着きます。

 あ、ボボンガリンガも好きです。これも商業ベースってすごいことだよ、異言語使えば何言ってもええんか?

 カリスマは音声コンテンツがほぼYoutubeにあるのがとても助かる。だらだら流しているうちに履修完了して最新話に追いつけている。グッズもオシャレというか、いいな!欲しい!と思うやつが多い。全体的にターゲット層が少し若めなのを感じる。(やってるパロディがかなり年上向けだったり、登場人物の年齢が結構しっかり成人だったりするので気のせいかも) グッズ購入したいのはやまやまだが先月今月の出費がアホで苦しんでいるため、まだ手を出せていない。普通に欲しくはあるんだけど……。本当に、金が……。夏のボーナスが出るまで……耐え……。

日記:20230418 もうしゅう

 若干ハイになっているのか、妙に行動的になっている。いや、仕事が嫌すぎるのか?逃避の結果か? そうかも。

 

 最高の本を手に入れた。

 最高!最高!最高!

 しゃぶり尽くします!(比喩)

 私のセーラー服萌えが目覚めたのは、多分アブストラクト・ナンセンスからです。あれでセーラー服の可愛さに目覚めた。そしてこの癖(ヘキ)は私の相互フォロワーであるなししHPさんが描くアブストラクト・ナンセンスの子(通称ラク子)の絵で更に強化されていったんですけど、これは初出し情報。べつに隠していたわけでもないんですが、言う機会も無かったです。

 セーラー服って可愛いんですよね。トップスはちょっとオーバーサイズめで胸元にはリボンまでついている。トップスがオーバーサイズめだからこそ、ウエストラインが光る。長いプリーツスカートの下にのぞく10代の子の脚。あ〜。変態だって言われる〜。でも性的興奮はあんましてないんです、本当に。セーラー服を纏うティーンエイジャーを見る時に感じるのは、性的興奮よりもなにか美しいものを見る時の陶酔感の方が近い。でも美的感覚と性欲の距離って結構近いですよね。普通に興奮してるかもしれないです。生れて、すみません……。

 私自身セーラー服のヘビーユーザーで、7年(7年て笑)ほど日常的に着衣していました。制服でした。現役時代、セーラー服の女の子が無制限でいっぱい見られるのほんま最高〜と思っていた。

 まぁともかく私はセーラー服を愛しているんですけど、じゃあ制服廃止は反対派なの?と言われるとそうでもない。私自身の感情的な部分は、かなり反対寄り。セーラー服が好きなのもあるけど、別の理由もある。私には姉が2人いたから、服はお下がりが多かった。成長が早い小学校の頃なんかはお下がりが多い傾向が顕著で、自分に買ってもらえた服は本当に嬉しかった。さて、お下がりが多いと何が起きるかというと、服の流行が周囲の子とズレるのである。クラスのイケイケな子はキラキラ!スカート!スパッツ!かわいいTシャツ!メゾ◯アノ!エンジェ◯ブルー!といった雰囲気だが、私はプリントの熊も剥げかけの真っ赤なトレーナーとジーパンでモッサリしているのである。トップス/ボトムス/シューズの部分に切り取り線がありページをめくることで擬似的に着せ替えできる塗り絵(知っている人は知っている)や、マグネットでキャラクターに着せ替えして遊ぶ玩具(知っている人は知っている)に熱中していた私にとって、それはかなり苦痛だった。中学校に入る時、これでもう学校に行く時の服が色褪せてるなぁとかデザインが古いなぁとか思わないで済むんだと思ってほっとした。画一化を強制されるのは、楽ではあるのだ。管理される子どもの側からも。自己実現できない理由が、自分の家族じゃなくて、もっと大きなものだから。

 制服の利点をさらに上げるとすれば、ブランド物の服を着られないから、服装で貧富の差があらわれないという点がある。まぁ、子ども自身の髪や肌とか持っている小物とかから分かってしまう部分はあるのだけれど、七割八割の子は画一化できる。そしてその結果、残りの二割三割の子はより“外れ値”として扱われていくということもあるのだけれど……。見た目がどうであれ等しく他者を尊重しなさいということを学校で教えるべきなのだけれど……。それがほんとうの共生だと思うのだけれど……。

 私の制服というシステムに対するスタンスとしては、少なくとも現状が良いとは思っていない。そもそも衣服の強制は人権侵害ではないのかという論点が丁寧に論じられるべきだ。個人的には、その論争の結果がどうあれ、制服の礼服としても使えるというメリットは大きい(葬式なんていつあるか分からないし、成長期の子にいちいち礼服を探すのは大変)ので、選べればいいのに、と思う。いつ制服を着るかどうかも、スカートかパンツかどうかも、性別にかかわらず選べればいいのに。式典の時だけ制服を着るのもアリだ。制服は個人所有じゃなくて学校からレンタルできたらいい、そしたら成長期著しい子が買い替える必要も、(余程のことが無ければ)たった3年で着られなくなることもないのだし……と思うが、やっぱり難しいのかな。あ〜〜〜レンタルだからって雑に扱う子とかいるのかな、金持ちは制服着なくてその他が制服を着るようになったりすんのかな、嫌だな嫌だな嫌だな。あと頭の中の悪いインターネットが人民服かよwwwって言ってる。なんで頭の中に悪いインターネットがいるんですか。出ていけ、出ていけ……。涙……。

 

 そんなこんなで元気。通い始めた無人ジムでランニングマシン(正式名称はトレッドミルと言うらしい)を使っているが、コンクリの上を走る時の膝にくる感覚が少なくて良い。脚を着地させるとちょっと沈むので、走りやすい。だからランニングより効果は薄いと言う人もいるみたいですが、万年寝太郎してるよりマシやろがい!でやっております。まぁ始めたばっかですからね。始めたばっかだから……。ヨヨヨ……。